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フルグラは主食になれない

雑記を中心としたブログです。楽しい暇つぶしをお届けします!よかったらどうぞ!

とあるフランス王の備忘録(ルイ〇〇世をまとめてみた)

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ロペスです。今日はちょっと世界史のお勉強をしましょう。

 

いっつもクイズ番組とかみていると

「フランス革命のほにゃららをした人物名は?」とかちょいちょい出てきますが

ルイだっけ?アンリ?シャルル?つか、何世だ?ってなることがあります。

 

それにしてもルイなんとかって多すぎませんか?多すぎますよね。

この記事まとめながら、つくづく思いました。

 

というわけで次にクイズ番組で出てきたときに家でドヤ顔したいと思うので

ルイシリーズをフランス史になぞらえてまとめてみました。

 

 

ルイ1世(778 ‐ 840):フランク王国カロリング朝『敬虔王

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敬虔とはうやまいつつしむ気持ちの深いさまという意味。

教皇レオ3世から西ローマ皇帝として戴冠したカール大帝(カール1世)の息子。

西ローマ皇帝を継承。シャルル2世と、ルートヴィッヒ2世、ロタール1世の三人の子がいたため、フランク王国を分割相続させる法律を作ったが、死後に王国は分裂する。

その中の西フランク王国が今のフランス。 

 

ルイ2世(846 ‐ 876):西フランク王国カロリング朝『吃音王』

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カロリング朝第2代西フランク王国国王(1代目はシャルル2世)。

病弱で早逝。王権はこの頃から弱体化、地方領主が強くなってくる。 シャルル3世、ルイ3世、カルロマンの父親。

 

ルイ3世(863 ‐ 882):西フランク王国カロリング朝

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カロリング朝第3代西フランク王国国王。

ルイ2世の息子。弟のカルロマン2世と共同統治。

 

ルイ4世(920 ‐ 954):西フランク王国カロリング朝

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シャルル3世(単純王)とイングランド王エドワード(長兄王)の娘エドギヴァの息子。

この頃になると諸侯は好き放題するようになり、父親のシャルル3世は諸侯に幽閉され獄死。王権がどれだけ弱っていたかがわかる。

 

ルイ5世(967 ‐ 987):西フランク王国カロリング朝『怠惰王

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カロリング朝最後の国王。狩猟中の事故が原因で若くして死去。

跡継ぎがいなかったため、カロリング朝が終わる。国王選挙によって新たにユーグ・カペーが国王に選出され、カペー朝が創始されることとなった。

これ以後、西フランク王国はフランス王国と呼ばれる。

 

ルイ6世(1081 ‐ 1137):フランス王国カペー朝『肥満王 or 戦争王』

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フランスの諸侯の反乱に苦しめられたが、シュジェールは聖ドニの軍旗である「オリフラム」を掲げることで、フランスの諸侯を集めてまとめ上げて、フランスの独立を保ち、国内の安定化に努めた苦労人。

 

ルイ7世(1120 ‐ 1180):フランス王国カペー朝『若年王』

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別れた妻が後のイングランド王ヘンリー2世と再婚してしまい、長らく争うことになる。

フランス王国最初の王令を発布した。歴史家ピレンヌからは「ルイ7世には武人としても政治家としても非凡なところは何もなかった。そのような君主のもとでの王権の増大は、ますます特徴的である」と評価されている。

 

ルイ8世(1187 ‐ 1226):フランス王国カペー朝『師子王』

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カペー家とカロリング家の両方の血統を受け継いでいる。

厳正な行状と果敢な戦士ぶりで知られ、その名の通り獅子奮迅の働きをした。

 

ルイ9世(1214 ‐ 1270):フランス王国カペー朝『聖王』

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アルビジョワ十字軍、第6、第7回の十字軍を派遣。
敬虔なキリスト教信者であったので聖王または敬虔王と言われる。王権を南フランスまで及ぼし、国内政治では官吏の腐敗の防止に努め、裁判制度を整備してパルルマン(高等法院)の基をつくった。
その信仰心と十字軍活動に対し、ローマ教会からルイ9世に「聖王」の称号を贈られた。

 

ルイ10世(1289 ‐ 1316):フランス王国カペー朝『強情王 or 喧嘩王』

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その2年という短い治世の中、諸外国との争いに明け暮れたためについたあだ名。

特に効果は上げられなかった。

 

ルイ11世(1423 ‐ 1483):フランス王国ヴァロワ朝『慎重王』

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百年戦争後の荒れたフランスの統治に最も成功した人物。

外交・政治的な陰謀で国内平和を保ち、ユーグ・カペー以来のフランス君主の《分割して統治せよ》という伝統政策に結びつけられた王とも言える。

ルイ11世は印刷術の始まりを保護し、その寛大さから《きわめてキリスト教的な国王》という称号をローマ教会から勝ち得た。また、養蚕を南フランスで普及させ鉱山を開発するなど、賢明な産業政策を行っている。

 

ルイ12世(1462 ‐ 1515):フランス王国ヴァロワ朝

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イタリア半島に攻め込むも、最終的に追い出されてしまう。

 

ルイ13世(1601 ‐ 1643):フランス王国ブルボン朝

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ルイ13世は絶対君主の最初の一人。

ルイ13世はリシュリューを宰相に登用し、彼の助けもあって続く18世紀における絶対王政の基礎を作った。ただし、王妃の不貞などのストレスから若はげとなり、22歳でかつらを着用し、ヨーロッパにかつらを普及させた。

 

ルイ14世(1638 ‐ 1715):フランス王国ブルボン朝『太陽王』

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"朕は国家なり"で有名。

17世紀後半から18世紀初頭、フランス絶対王政全盛期の国王。

前半は宰相マザランが政治にあたる。親政開始後は産業の保護、海外植民地の拡大につとめ、また盛んに侵略戦争を行って領土を拡大した。

在位期間72年はギネス記録らしい。

 

ルイ15世(1710 ‐ 1774):フランス王国ブルボン朝『最愛王』

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肖像画の通り美男子。体格も良く教養に富んでいたが、内気で臆病な性格であり、政治にあまり関心を持たず、もっぱら趣味の狩猟に興じる日々を送っていたが、実は無類の女好き。なんと、妻との間に11人の子供がいたとか。

七年戦争に敗北したことで、北米の植民地を失い、戦費は嵩んでフランスは荒廃。そん王の地位を楽しめる最後の王様。

 

ルイ16世(1754 ‐ 1793):フランス王国ブルボン朝

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フランス革命により、妻のマリーアントワネットとともに処刑される。

ルイ14世、ルイ15世の財政破たんのツケを払わされる悲劇の王ともいわれている。

自らが開発に携わったギロチンで処刑されてしまう。

でも国民からは愛されていたとか。

 

ルイ17世(1785 ‐ 1795):王党派は即位していたと解釈しているが、諸説あり

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ルイ16世の王太子。

フランス革命の残酷で、無慈悲な被害者の一人。

 

ルイ18世(1755 ‐ 1824):フランス王国ブルボン朝

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ルイ16世の弟。亡命に成功し、ルイ17世が死んだという風評が流れると、自らはルイ18世を名乗った。その後、晩年には絶対王政を復活させる。

 

ルイ・フィリップ(1773 ‐ 1850):フランス王国オルレアン朝

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1830年の7月革命でブルボン朝の復古王政が倒れると、ブルジョワジーに擁立されて国王となり、7月王政が成立した。ルイ=フィリップ1世は「フランスの王」ではなく「フランス人(フランス国民)の王」を称し、政治体制は絶対王政を否定して立憲君主制を取り、帝国主義政策を進めた。

1000年続いたフランスの王政に幕が閉じられる。

 

 

 

 

・・・と、まぁこんな感じだったんですが

ここまで読んでくださってありがとうございます。3000字もありましたし、ほんとお疲れさまでした。

 

書いていて分かったつもりでいますが、色々いすぎて3時間後には忘れてそうですww

なんかふとあれなんだっけってなったときに、辞書感覚で見てください(笑)

僕もルイ辞書として使おうと思います。

 

わかりづらくてすみませんね(m´・ω・`)m 

世界史とかまともに勉強してないんで、ガセ情報を参考にしてても気づかないし、もしかしたらところどころ違うかも。

 

 次は徳川家シリーズやろうかな。